{{outline}} {{amazon B000E1NY76}} !!曲リスト ,No,曲名,作詞作曲 ,1,春だったね,作詞:田口 淑子/作曲:吉田 拓郎 ,2,せんこう花火,作詞:古屋 信子/作曲:吉田 拓郎 ,3,加川良の手紙,作詞:加川 良/作曲:吉田 拓郎 ,4,親切,作詞・作曲:吉田 拓郎 ,5,夏休み,作詞・作曲:吉田 拓郎 ,6,馬,作詞・作曲:吉田 拓郎 ,7,たどり着いたらいつも雨降り,作詞・作曲:吉田 拓郎 ,8,高円寺,作詞・作曲:吉田 拓郎 ,9,こっちを向いてくれ,作詞:岡本 おさみ/作曲:吉田 拓郎 ,10,まにあうかもしれない,作詞:岡本 おさみ/作曲:吉田 拓郎 ,11,リンゴ,作詞:岡本 おさみ/作曲:吉田 拓郎 ,12,また会おう,作詞:岡本 おさみ/作曲:吉田 拓郎 ,13,旅の宿,作詞:岡本 おさみ/作曲:吉田 拓郎 ,14,祭りのあと,作詞:岡本 おさみ/作曲:吉田 拓郎 ,15,ガラスの言葉,作詞:及川 恒平/作曲:吉田 拓郎 !!データ *1972年7月21日 初発売。拓郎26歳。 *CBSソニー移籍第一弾。 *2006/04/05 紙ジャケ仕様で復刻。 *この年のアルバムチャート第1位を13週間独占。 *歌詞カードには拓郎自筆の文章が寄せられている。「自分で自分の言葉をもつのです。その時、フォークなんて関係ないのです。何でもいいのです。」などと綴り、当時の拓郎をとりまく状況をうかがい知ることができる。 *この年6月20日に第一夫人四角佳子さんと結婚している。のに、#7「たどり着いたらいつも雨降り」?? *アルバム名は「元気です。」とわざわざ「。」をつけており、「モーニング娘。」に通じる? *アルバム名が「元気です。」であるが、「元気です」という曲は収録されていない。 *1980年になってアルバム「アジアの片隅で」にシングル曲でもあった「元気です」という曲が収められている。ちなみに、オリジナルアルバムで「俺が愛した馬鹿」までは、「シャングリラ」以外、アルバムタイトル曲がそのアルバムに収録されている。 *#1「春だったね」は「Live'73」でもアルバムの1曲目を飾っている。 *#2「せんこう花火」はたった9行の詞。Aメロ→Bメロ→Cメロで終わってしまう珍しい形。古屋信子による作詞であるが、どういう方かは諸説あり、小説家であると言う話も。 *#3「加川良」は、当時人気のフォークシンガー加川良が本当に提供したという話である。 *#4「親切」にはボブディランが登場する。「ボブディランの話か、いやだね」と謳っているが、拓郎は当時から「ボブディランがいい!」と推していることが多かった。 *#5「夏休み」に出てくる「姉さん先生」は実在すると拓郎本人が語っていた。 *#7「たどり着いたらいつも雨降り」は、故・鈴木ヒミツのバンドモップスへ提供された。 ダウンタウンズ時代(広島時代)には別の歌詞がついた「好きになったよ女の子」という題名の曲であった。 *#8「高円寺」は、東京都杉並区にある曹洞宗の寺院。26歳時に高円寺北に住んでいた。新婚時の住居か? *#13「旅の宿」は7月1日にシングル(別バージョン)で発売され、オリコン1位を5週連続で記録。拓郎のシングル1位はこの曲と「明日に向かって走れ」(3週連続)の2曲。 *#13「旅の宿」は時期的に四角佳子さんとの婚前旅行を描いたものか。 *#14「祭りのあと」について、「“日々を慰安が吹き荒れる”は吉野弘氏の詞の一部を借りました」と、歌詞カードに注釈が書いてある。吉野弘氏は現代詩人。 *#14「祭りのあと」はオンステージ第二集の「ゆうべの夢」と同一メロディーで、「ゆうべの夢」を改変したものと言われている。 *#15「ガラスの言葉」の作詞は六文銭の及川恒平。 !!レビュー お名前が「◆◆◆◆◆」は、ずっと昔のHPにコメント頂いたものです。 *初めて買ったのがこれです。僕を拓郎ワールドに引き入れるきっかけをつくってくれた一枚です。以後、生活の一部に拓郎さんが入り込み、とうとう髪型もアフロになりました。◆◆◆◆◆ *中学時代、女の子からプレゼントでもらいました。懐かしいです。◆◆◆◆◆ *自分の人生を決めてしまったアルバムの中のアルバム◆◆◆◆◆ *レコードを汽車の網棚に置き忘れ、半泣きになって帰ったんです。それから、その当時の彼女にプレゼントしてもらいました。でも、その後フラれたんです。ちなみにそ時の彼女の友達が今の奥様だー。◆◆◆◆◆ *私がギターをやり始めるきっかけになったアルバムです。「ガラスの言葉は」大好きです。◆◆◆◆◆ *拓郎の曲で、最初に引っかかったのは このLPの中のなぜか「馬」です。このアルバムは、アコースティック的なものが集大成されたものだと思っています。拓郎の才能が一気に花開いた作品ですね。いま、聞いてもゆずには絶対負けません。◆◆◆◆◆ *初期の頃の拓郎様はリアルタイムでは知らないけれどこのアルバムをきくと拓郎様の音楽の良さがわかります。加川良さんに以前にお会いしたときあの曲を拓郎様に提供するときノエピソードを聞きました。メジャーになると曲作りも大変なようです◆◆◆◆◆ *加川良さんが好きです◆◆◆◆◆ *拓郎の原点でしょう。70年代の最高のアコースティックアルバムのうちのひとつでしょう。◆◆◆◆◆ *小学生のとき始めて聞いてこんな歌があるんだとびっくりしたことを思い出します。かれこれ30年近く前ですが・・・結局、LP、CD合わせて3枚も買ってしまいました。◆◆◆◆◆ *いつまでも、よしだたくろうです。ライブ73以前のたくろうは凄かった。いまでもたくろう以上のシンガーはいない。ディランを知っても,やはりたくろうだった。この20年の半分くらいを共に過ごした。◆◆◆◆◆ *LPのジャケ、オビが渋くて良い。もちろん曲も良い。◆◆◆◆◆ *はじめて買ったレコードが「元気です」でした。当時中学1年の私には、ちょっと大人の世界をのぞけたようでとても強烈でした。以来、ずっと聞いていますが、聞く年齢によっていろいろ沁みる曲が変化していきます。やっぱり「元気です」になってしまいます。◆◆◆◆◆ *これは全曲文句無し。◆◆◆◆◆ *辛いことの続いた日々でした。毎日泣いていました。そんな時ラジオから流れてきたこの歌・・・。「どれだけ歩いたのか考えるよりも、標なき明日に向かって歩きたい」とは自分に言われた気がして、過ぎ去った日々を忘れ明日だけを見て生きていく勇気を与えられました。そして私も「元気です!」と笑顔で答えられる自分を取り戻すことが出来たのです。◆◆◆◆◆ *春だったねのあの字余りにぶっ飛んだ。ガラスの言葉のスリ−フィンガ−を必死こいてコピ−したものです。◆◆◆◆◆ *初めて手に触れた拓郎◆◆◆◆◆ *なんていうか・・・わたしの原点ですね。◆◆◆◆◆ *たくさんあるけどやっぱりこれでしょう。第1期黄金時代のしめくくりかな?◆◆◆◆◆ *やっぱり原点かな・・・。人は、ひとりなんだと感じた時に聞くと、すごく落ち着く一枚ですね。◆◆◆◆◆ *初めて聞いたアルバムは「人間なんて」だったのですがちょっと古くささを感じていた。でも「元気です」はカルチャーショックを受けました。「春だったね」や「たどりついたら〜」はとても好きです。◆◆◆◆◆ *私も初めて買った拓郎のLPは「元気です」でした。中学2年生でした。「まにあうかもしれない」は,人生の節目,節目で歌ってきましたし,「祭りのあと」も何か大きな行事,出来事のあとにギター片手に独り歌いたくなる曲です。◆◆◆◆◆ *これも聴いた聴いた。これは2枚持ってます。なんといっても初期の代表作でしょう◆◆◆◆◆ *あの頃、替え歌がはやっていて、例えば「土方の君は、木綿のふんどし、あつかんしょうちゅうのびん、かかえて、もういっぱいいかがなんてみょうにおかまっぽいね。」と山本コ−タローとかが歌っていた。愚かなる独り言のロック版のヨウなのをテレビで歌っていて、かっこよかった。NHKでも歌ってた。◆◆◆◆◆ *やはりあのアコースティック感がたまらない。曲目もほとんど駄作がないと思う。そういえば昔、拓郎が言ってましたけど、このアルバムに花酔曲(静:おきざりにした悲しみはのB面)が入る予定だったらしい。入っていれば完璧なのに。◆◆◆◆◆ *訳の分からない歌手が出しているベストアルバムより名曲揃い。◆◆◆◆◆ *ありふれていますがベストです。◆◆◆◆◆ *中学1年の時に初めて買ったたくろうのアルバムです。やっぱり初期のたくろうのベストでしょう。秀作ぞろいです。今聞いてもハマりますね。アコースティックバージョンの「たどりついたらいとも雨ふり」のバンジョーの音が今でも耳からはなれません。ちなみに平仮名の”よしだたくろう”時代が一番すきです。◆◆◆◆◆ *他のアルバムもよいですが、どの曲もいい曲という点でこのアルバム。やはり拓郎自身のいコメントがいい!◆◆◆◆◆ *なんといっても、たくろうにはじめてふれたLPです。ハーモニカの音色がいいんです。◆◆◆◆◆ *当然かな、コメントなし。◆◆◆◆◆ *これなくして拓郎は語れない。手書きのメッセージも最高。でも、馬はいらない。うまーが走ってく...。つい口ずさむけどね。◆◆◆◆◆ *中学生の時、毎日何回も聞いていました。特に「間に合うかもしれない」を聞いてそれまであきらめていた高校を目指し受験勉強を始め・・・なんとか本当に「間に合いました」◆◆◆◆◆ *「馬」でさえアルバムを構成する一要素になっている。 - 三角印 (2009年01月18日 02時37分20秒) {{comment}}