元気です。の編集
!!データ *1972年7月21日 初発売。拓郎26歳。 *CBSソニー移籍第一弾。 *2006/04/05 紙ジャケ仕様で復刻。 *この年のアルバムチャート第1位を13週間独占。 *歌詞カードには拓郎自筆の文章が寄せられている。「自分で自分の言葉をもつのです。その時、フォークなんて関係ないのです。何でもいいのです。」などと綴り、当時の拓郎をとりまく状況をうかがい知ることができる。 *この年6月20日に第一夫人四角佳子さんと結婚している。のに、#7「たどり着いたらいつも雨降り」?? *アルバム名は「元気です。」とわざわざ「。」をつけており、「モーニング娘。」に通じる? *アルバム名が「元気です。」であるが、「元気です」という曲は収録されていない。 *1980年になってアルバム「アジアの片隅で」にシングル曲でもあった「元気です」という曲が収められている。ちなみに、オリジナルアルバムで「俺が愛した馬鹿」までは、「シャングリラ」以外、アルバムタイトル曲がそのアルバムに収録されている。 *#1「春だったね」は「Live'73」でもアルバムの1曲目を飾っている。 *#2「せんこう花火」はたった9行の詞。Aメロ→Bメロ→Cメロで終わってしまう珍しい形。古屋信子による作詞であるが、どういう方かは諸説あり、小説家であると言う話も。 *#3「加川良」は、当時人気のフォークシンガー加川良が本当に提供したという話である。 *#4「親切」にはボブディランが登場する。「ボブディランの話か、いやだね」と謳っているが、拓郎は当時から「ボブディランがいい!」と推していることが多かった。 *#5「夏休み」に出てくる「姉さん先生」は実在すると拓郎本人が語っていた。 *#7「たどり着いたらいつも雨降り」は、故・鈴木ヒミツのバンドモップスへ提供された。 ダウンタウンズ時代(広島時代)には別の歌詞がついた「好きになったよ女の子」という題名の曲であった。 *#8「高円寺」は、東京都杉並区にある曹洞宗の寺院。26歳時に高円寺北に住んでいた。新婚時の住居か? *#13「旅の宿」は7月1日にシングル(別バージョン)で発売され、オリコン1位を5週連続で記録。拓郎のシングル1位はこの曲と「明日に向かって走れ」(3週連続)の2曲。 *#13「旅の宿」は時期的に四角佳子さんとの婚前旅行を描いたものか。 *#14「祭りのあと」について、「“日々を慰安が吹き荒れる”は吉野弘氏の詞の一部を借りました」と、歌詞カードに注釈が書いてある。吉野弘氏は現代詩人。 *#14「祭りのあと」はオンステージ第二集の「ゆうべの夢」と同一メロディーで、「ゆうべの夢」を改変したものと言われている。 *#15「ガラスの言葉」の作詞は六文銭の及川恒平。
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